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脱藩の道 > 詳細-006
宮野々関
龍馬と惣之丞は、道中最大の難所・大越峠を越え、四万川の「宮野々関」を過ぎた
3月26日早朝、梼原太郎川の那須邸を出た坂本龍馬と沢村惣之丞、そして道案内の那須俊平・信吾父子は、大越峠を越え、四万川の宮野々関を過ぎた。宮野々から伊予に抜ける道は二つあり、一つは九十九曲峠を越えて高川(現城川町)へ出るものと、韮ヶ峠を越えて小屋(現野村町)へ出るものとがある。
宮野々関
吉村虎太郎は、前者の九十九曲峠を行き、龍馬は、後者の韮ヶ峠を通っている。現在、梼原町は、前者を「維新の道」、そして、後者を「坂本龍馬脱藩の道」として、標識・看板を設置している。

茶や谷から先、韮ヶ峠まで約8キロの道は、標高差400メートル、龍馬脱藩の道中、最大の難所である。途中でギブアップしようものなら、進退窮まることも覚悟しなければならない。

道の途中に境目(国境)の番所・松ヶ峠番所があり、那須家の縁者が番所役人を勤めていたという。那須父子の案内で行く安心からか、「坂本龍馬まかり通る」と、堂々と名を名乗って通ったとの伝承がある。茶屋谷の中岡利吉(当時21歳)の思い出話として残っている。

さらに行くと、うっそうと繁る樹林の中に突如、蛇紋岩の層が露出しているところがあり、人はこれを「土佐の青ジャレ」と呼んで旅程の目印にしていた。

道はやがて谷を越え、土佐路の最後の集落、高階野を横切り、標高970メートルの韮ヶ峠に至る。

村上恒夫著「歩いてみよう坂本龍馬脱藩の道」より
▼宮野々関

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